上村松園は美人画を終生追求した作家として知られています。十代の修業時代から美人画を描きはじめ、古典や漢籍の学習からヒントを得たものや江戸期の風俗を中心に制作を進めていました。1907年に文部省美術展覧会が創設されてからもこの傾向は続きますが、松園などの影響もあって文展でも徐々に多くの美人画が出品されるようになります。因みに「花」が制作された1910年の第4回文展には「上園賞秋」という作品を出品し鏑木清方の美人画などとともに話題を集めたようです。同時にこの時の文展では美人画室という部屋が作られて、専門家にけむたがられるという一面もありました。この頃から文展においても美人画というジャンルが確立されていくことになりますが、松園も当然その流れに貢献しています。
本作品の構図は、美人観桜図と言われる作品の系譜を引いており、同様の作品を松園は1907年から1910年頃にかけて集中して描いています。1910年の巽画会展に出品した「花」とはほとんど同じ図柄ですが、顔だちなどがより華やかなものになっています。